東北から帰ってきてから、スタッフの間でバディでも何かやるべきことがあるのではないかという話になり、話し合いの場が設けられました。その中で今年のサマーキャンプを東北で実施できないかというアイディアが持ち上がりました。まだ本当に実施するのかも含め、何も決まっていない段階です。大まかなプランは、場所は岩手県内陸の遠野市周辺、内容は川のキャンプ(岩手の川は本当にすばらしいです)と帰宅前半日程度で岩手県沿岸の被災地を見学する時間を設けようと思っています。遠野市は福島第一原子力発電所から北北東に210キロ程度離れていますが、原発事故も未だ収束のメドが立っていない状況です。僕たちスタッフも今回の東北キャンプを本当に実施できるのか、また、してもいいのか不安な部分もあります。しかし、もし実現できるならば子供たちにとってかけがえのない経験になると思っています。 以下には僕が被災地に行って感じたこと、並びになぜ東北でキャンプを行うことに意義があるのか、思っているところを書きました。この文章をバディブログに載せたのは、このキャンプのプランについてのお父さん、お母さん方のご意見を伺いたかったからです。ご父兄の意見を伺った上で、今年の夏キャンプを実際に東北で実施するべきかどうかの判断を行いたいと思っています。もしこの文章を読んでいただき、ブログのコメントやメール等でご意見ご感想をいただけたら幸いです。 3月11日、僕はテレビで津波の映像を見ました。黒い水に浮かび流されていく建物、道路を走る車が呑み込まれそうになるところで映像が途切れます。皆さんご存知の通り、それはとんでもない光景でした。しかし今振り返ってみると、僕はそのとんでもない事はどこか遠く離れた世界で起こっていることのように感じていたと思います。実際に被災地に足を運び、初めて津波に洗われた町を見た時、体が震え鳥肌が立ったのを覚えています。町一つ分の瓦礫の山と、それを構成する物、物、物。その横で水仙の花が咲き、堤防に引っかかった家の屋根裏には鳥が巣を作っています。なぜ人間だけが途方にくれているのか。その光景は人の世の悪しきもののできすぎた象徴のようで、吐き気がしました。 しかし僕は、『今こそ暮らしを縄文時代に戻さなくてはならない』などとは考えていません。バディーの子供達が体験している野外生活は、ある意味縄文時代に近い生活です。それは不便です。快適でもありません。自分で運べるだけの物しかないし、その限られた物を使って自分自身でどれだけ生活環境を改善できるかが問われます。一方、便利で快適な町の生活も、よくよく考えてみると、頭をひねる段階は他の誰かが肩代わりしてくれているだけであり、生活の本質はかわらないことがわかります。。僕は野外生活も町の生活もその核心にあるのは、便利にしよう、快適にしようという人間の精神活動だと考えています。更に言えば、この精神活動こそが、科学の起源であり、美術の起源であり、人間を人間たらしめているものなのではないでしょうか。僕は、数年前のリーマンショックも、この度の原発問題もこの人間のもっと便利にしようという気持ちが行き着いたところだと思っています。人間の本質的な精神活動が行き詰ってしまった今、これから子供達が暮らすこの社会は転換期を迎えていくはずです。 以上はすべて僕自身の勝手な考えであり、何の確証もありません。個人的な考えをバディーの子供達に押し付けるつもりは、もちろんありません。自然の中で活動するんだから、答えは開かれているべきだし、だから面白いと思っています。しかし、僕自身のことを考えると野外活動をしていなかったら、被災地を自分の目で見ていなかったら、今この社会にここまで具体的な危機意識は持っていなかったのではないかと思います。これからこの社会を担っていく子供達。東北での経験はすぐには役に立たないかもしれません。しかし、子供達の今の年歳で野外生活の経験を積み、被災地を自分の目で見て肌で感じておくことは、(今の社会に本当に問題があるのかも含めて)今後真剣に考え、感じていく為の大切な材料になるはずです。いずれ甚大な被害を受けた東北の町々も復興をとげ、今の悲惨な光景は記録の中のものになっていくでしょう。僕たちが住む町もこの先地震や津波の被害を受けないとも限りません。今しか感じれ取れないないことがあるはずだという思いから、今回東北キャンプを提案させていただきました。 繰り返しになりますが、皆様がお子さんを東北キャンプに送り出したいと思うか、どのようなことが不安か、その他どんなことでもご意見ご感想いただければ幸いです。